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白の記憶No,18

 初めて組み立てたラジオから飛び出してきたこの曲は、のちに、シーカーズの「ジョージガール」ということがわかった。この時を境に、たちまち洋楽にのめり込んでいったのである。ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」、ビートルズ「ヘルプ」、デーブクラークファイブ「ビコーズ」等など、薄暗くぼんやりとオレンジ色に光る真空管の横のむき出しのスピーカーから聞こえてくるこのサウンドは、そのころテレビで聞いていた橋幸夫や西郷輝彦の歌謡曲とは、まるで違って魔法のサウンドだった。ラジオからの洋楽収集は、その後、中学生になってからもずっと続いていくことになるが、中学時代の話はまた次の機会にすることにして、小学校時代にこの手作りラジオが大活躍したのを思い出したので付け加えておこう。

 私が住んでいた山間の集落は16軒余り、当時小学生は12人ぐらいいただろうか、夏休みの間のラジオ体操の会場が最上級生の家でやることになっていたので、その年は私の家、つまり私が6年生の時であった。早速、家の庭が見下ろせる縁側に、手作りの5球スーパーラジオを置いてみんなが集まるのを待った。6時を過ぎるころから一人、二人と集まり始める。来た子から庭の地面で、陣取りや時計とり、いっちょんぱなどをやりはじめるのだが、そのころうちの庭で一番人気があった遊びは、なんと走高跳。これは、庭の隅に寄せてあったセメントを作るときに混ぜる砂が大量にあって、ちょっとした砂場になっていたところに、私が角材に5cmおきに釘を打ったものを二本立てて、間に竹の棒を渡してバーを作り、走高跳の練習場にしていたものである。特に男の子には大人気で我先に争うようにとんでいた。そんな中、低学年のM君は、まだ日が昇る前の暗いうちにやってきて、何度も挑戦していたようだ。ある時、母が、M君に「なんでそんなにはよきなあかね?」ときいてみたら、「だって、人がいないときじゃないとできんもん」

 さて、みんな集まったかな、私は得意げにラジオのスイッチを入れた。 あーたーらしいあーさがきた。きぼーうのあーさーだ。