ラジオ作り4

黒の記憶No,13
ラジオ作り4 · 02日 10月 2021
 真空管のラジオ作りは中2のころで終わり、その後は真空管を使ったアンプづくりに変わっていった。というのも、ラジオから収集した洋楽や日本のGS(グループサウンズ)のレコードを買ってきてプレーヤーで聞く時に、音を増幅させるために作っていたものだからだ。当時私は、枕元にラジオを置いて深夜放送を聞きながら、ロックなどの洋楽や日本のGSの新曲がでてくるのをわくわくしながらまっていた。その中心にあった番組こそがオールナイトニッポンであった。イトイゴロー,タカサキイチロウ、タカシマヒデタケ、サイトウアンコウ等のDJ達の話術も楽しかったが、やはり初めて聞くミュージシャンやグループの曲、好きなグループの新曲が流れるときは期待感がいっぱいで、ドキドキわくわくしたものだ。1968年~1969年の間でもオールナイトニッポンから感動的な出会いがあった曲がたくさんある。モンキーズの「素敵なバレリ」、カウシルズ「雨に消えた初恋」、タートルズ「エリノア」クラシックスフォー「ストーミー」、シルビーバルタン「想い出のマリッツア」、GSでは、オックス「ガールフレンド」、パープルシャドウズ「小さなスナック」、ザ、スィングウエスト「涙のひとしずく」、モコ ビーバー オリーブ「海の底で歌う歌」ほかにも、由紀さおり「夜明けのスキャット」等、一発でお気に入り、レコードを買いに行ったものだ。 そのころ買ったレコードの中になぜか、ムーディーブルースの「キャンドルオブライフ」というのが残っている。ムーディーブルースといえば数年後に私が大好きなった、プログレッシブロックの大御所的な存在のグループ。「サテンの夜」などのLPレコードを今でも聞くほど好きなグループであるが、先見の明というか、出会うべきして出会った、運命的な曲の一つだった。そのようにして、私の中学生時代は、寝床で、オールナイトニッポンを聞きながら、受験勉強もやるという、いかにも健康に悪そうな生活をしていたようだ。時々、セイヤング等、他の局の番組のことを聞いたことを覚えているので3時はまわっていた。そうとうな睡眠不足だったに違いない。